大連の地理的位置、面積及び人口
大連は中国三大半島の一つである遼東半島の最南端に位置し、北京まで直線距離にして約500km、三方は海に囲まれ、北の香港を目指して、国家政策特区として現在も開発が進んでいます。現在、一つの県(長海県)、三つの市(瓦房店市、庄河市、普蘭店市)、中心都市の大連市(六区)からなり、総面積は
大連全図
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1万2574平方km、2002年集計の総人口は589万4000人、市内四区の面積は549.27平方km、市街区の人口は214万6000人です。
大連森林動物園
中国全図
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大連市中心
気 候
冬は厳寒がなく、夏は酷暑がない、気候は温和で、四季がはっきりしている。年平均気温は8〜10度位です。
8月が最も暑く、平均気温は24度である。最も寒いのは1月で平均気温は、南部で−5度〜−10度、北部で
−10度〜−15度に下がります。
歴 史
大連は都市としての歴史は約百年ですが、その間に時代の転変を嘗め尽くし、旅順口だけでも中国近代史の半分が反映されています。1898年ロシアが旅順口と大連湾を租借し、ロシアの極東における軍事基地となって、ロシアによる大連都市開発が始まりました。現在残っている中山広場は、フランスのパリをまねて設計され、今も当時の様子を感じとる事ができます。1904年日本軍がロシアとの戦争を引き起こし、329日間の戦いの後、ロシア軍の敗北で終わった。1905年ロシアは、中国遼東半島での租借権を日本に譲り、日本軍はその後、1945年の敗戦迄、40年間大連を統治していました。
大連市政府
中山広場の周辺には、日本による建物が多く建築されましたが、現在はその多くは取り壊され、代わって高層建築物が林立しています。その中でも5年の歳月を費やし、日本人により設計された大連賓館(旧大和ホテル)は、今も残りその多くの歴史を現在に伝えています。
遼東半島の最南端、大連市中心より西南に45kmに位置し、昔よりその戦略的位置付けは極めて重要で、国防上の要所になっていました。
旅順には日本軍の建築による白玉山頂上の白塔や黄金山、望台砲台、
二〇三高地、東鶏冠山北堡塁など日露戦争に関する遺跡が、現在も多く残っています。白玉山山頂より旅順軍港を望めば、日露戦争から日本軍敗戦までの悲惨な歴史を感じ取れます。
旅順口
大連駅より最新快速電車で55分、金石灘リゾートが終着駅になります。
大連全図
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金石灘国家1級観光リゾート全図
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結婚式場
湖畔に教会があり、結婚直後のカップルが、リゾート内の眺めの良い景色を
バックに写真撮影している光景がよく見られます。
教会
ゴルフ場
金石灘海水浴場
中華武術館
金石灘海岸
金石灘観光
ゴルフ場観光及びプレー
「ピーター、トムソン」設計の世界一流ゴルフコースの金石ゴルフ場と、
パブリックの金石灘ゴルフ場があります。
金石灘海水浴場
海岸線の長さ7.5キロ、玉石混じりの黄色の砂からなっています。
(ボートでイルカ見物も出来ます。一人150元)
中華武術館、化石館、蝋人形館
眺めの良い高級な別荘地
瀟洒な国際会議場や国際ホテルがあります。
大連モデル芸術学校
大連は中国で最初にモデル学校を設立、大連はスタイルの良い女性が
多いことで有名です。学内見学が出来ますが、授業見学は有料です。
国際狩猟クラブ
クラブ敷地面積200万平方メートル、クレー射撃場を持ち、飲食、娯楽、
レジャーなど多くの施設をもっています。
6億年前の不思議な地質景観(亀裂石)(金石園)
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